代表という看板
今日、引き出しを漁っていたら、パスポートを見つけた。
失くしていたわけじゃないけど、忘れてはいた。
そんな久しぶりの再会を楽しみながら、
初めてパスポートをもらったときのことを思い出した。
免許証も持っていなかったし、身分証明になるようなものは初めてで、
なんだかちょっとわくわくしたんだ。
でもそんな反面、少しばかり怖かった。
国内線の飛行機は乗ったことあったから、怖くなかった。
海外のこともあんまり想像できていなかったせいか、怖くなかった。
ただ、自分が日本人の代表だってことを感じて怖かったんだ。
初めて口にする焼きそばがマヨネーズ味だったら、
焼きそばとはマヨネーズ味の炒めた麺だと認識する。
初めて利用する公衆トイレが最新式のアラウーノだったら、
公衆トイレとは勝手に開く超綺麗なトイレだと認識する。
たとえそれが、すごくレアなケースであったとしても。
つまり、
初めて日本人を目にする人にとって、私は”日本人”の代表。
パスポートは、そのくらい責任が伴うものだと痛感した。
もちろん、初めてに限った話ではないのだけどね。
私たちは様々なところに所属している、国、都道府県、会社、学校、家族…。
代表ってのは、何も選ばれし者だけの話ではない。
常に私たちは何かの代表の看板を身につけて生活しているのだ。
そのことを、忘れてはならない。